秒スキャ 日々の記録

秒スキャ日々のトレードを記録します。

捨てて捨てて捨てまくった後


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自分のなかで今年変わったことは、身の回りのものをシンプルにしたこと。
手始めに入らない服を捨てた。
自分の着る服はそこまでないことに気づいたからだ。
何十足もあった靴下(本当にあった)、着古して黄ばんだ肌着、着心地の悪くなったダウンジャケット(ユニクロである)、ズボンだけ上着だけになってしまったクリーニングに出せずにいるスーツ、これだけでゴミ袋3つか4つ。
次に捨てたのは本。
勢いで買って、買ったことで安心してほとんど読んでいないビジネス書、類似の本は一つだけ残して(残ったものもその後、取っておく必要性に疑問を感じ)捨てた。
また、大量に部屋を占拠している不要な小物CDとか、ほとんど誇りを被ってその辺に転がってる、捨てた。
捨てると空間が生まれる。そこに必要なものを置くスペースが生まれる。
それが気持ちよくてどんどん捨てた。
その筋の本を本屋で立ち読みして、部屋が綺麗になる写真を見ることで捨てることのモチベーションが高まり捨てた。
会社の引き出しに眠っている、今となってはいるのか入らないのかわからない資料も整理した。
ペンも捨てた。
ものが集約され必要なものだけが残ることで、そのものの使いやすさを重視した。
使いやすいもの、使ってて心地いいものだけが残った。
部屋が広々とした。
今も変わらず、部屋は片付いている。
以前は片付けてもその場限りですぐに散らかるようなことはない。
ただどうしても捨てられないものもある。
昔の思い出の品(大学時代のレポートとか、記念品、文集とか)、それも必要なものだけ残して他のもので当時を思い出させるのであれば代替できるものは捨てた。思い出の品は、記憶の片隅から当時の心境を掘り起こしてくれるインデックス。
似たようなものを掘り起こすインデックスは捨てた。でも、捨てられないものはある。
より、身軽になりたいけど捨てられないものもある。無理して捨てる必要はない。
ある一定のキャパシティの中で収まっていくもの。基本的にそれを超えないと思っている。いや、脳がものを管理できるキャパシティが決まっているからそれ以上増えないのだ。
捨てるのが目的ではない。
捨ててから余裕が生まれた中で何をするかだ。

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